銀鉱山の衝撃


巨大なポトシの街は突然に現れる。街は古くて趣があり人も車もウユニとは比べ物にならない大都会だ。ここは銀鉱山で成り立つ街だ。普段僕は観光ツアーというのは気が進まないけれど、銀山にはツアー以外では入ることが出来ないし、鉱山の労働環境に興味があったので参加してみることにした。

 若いスウェーデン人5人と南アフリカ人カップルと一緒に乗り込んだ車は30年前のニッサンキャラバン。セルモーターは弱々しく、エンジンをかける為に男たちは何度も車を押さなければならなかった。鉱山に入る前にまず鉱夫に配る土産を買いにキヨスクに寄る。仕事をしているところを観光でお邪魔するわけで、ツアー客は一人10ボリビアーノ(140円)のお土産を持参するのが慣例になっている。持って行くものはペットボトルの怪しい色付きジュース、粗悪なメモ用紙で巻いたような紙たばこ、サトウキビから作ったアルコール96%の酒、コカインの原料ともなるコカの葉の袋詰めとコカの効能を引き出す石灰の塊、そしてダイナマイトだ。ダイナマイトを除けば、これらを1種類ずつ全部買っても10ボリビアーノで足りてしまう。酒は業務用アルコールと呼ぶべき代物で火を付けたら燃え続ける。これを水やジュースに混ぜて飲むらしい。コカは殆どの国で麻薬として所持すら禁止されているけれどボリビアでは合法でコカ茶としても普及している。ボリビアでは時々片方のほっぺたを膨らませている人を見かける。鉱夫や農作業をする労働者に多い。はじめて見た時はほっぺたが腫れる何かの病気かと思っていたけれど、実は彼らはコカの葉を口に入れている。噛み続け1日平均40g消費するという。劣悪な環境で長く苦しい労働に耐えるためにはコカの覚醒作用や強いアルコールが不可欠なのだと元鉱夫だったガイドのおじさんが教えてくれた。ダイナマイトは効率よく掘り進めるのに有効だけれど、値段が高いので頻繁には使えないのだそうだ。ツアーと言ってもハリウッドのツアーの様に見学者の通路があるわけでも何でも無かった。作業着に着替えて鉱夫と同じ様に歩いて狭い坑道に入る。いきなり2人の鉱夫が鉱石を満載したトロッコを押して坑道から出てきた。レールはガタガタだし所々レールが埋まっていたりするからなかなか前には進めない。彼らを引き止めてガイドは僕らに説明をすると彼らにプレゼントを二つ三つ渡した。そうして人に会う毎にプレゼントを渡しながら坑道を奥へ奥へと進んでいった。中には分岐が幾つもあり、体一つ通れる垂直の穴にかかった梯子を上り続けるとレールの敷いていない別のとても狭い坑道に出る。山の中はアリの巣のように何層にもなっているのだ。上の坑道の鉱石は専用の穴を使ってトロッコのある下の坑道に落とす仕組みになっている。この掘削最前線では30代の男と見習いの若い男がいた。顔は煤け表情は無い。朝から晩まで昼ご飯も無くこの狭くて暗い酸素の薄い空間で危険な重労働をしているのだから当然だろう。遠くで小さな手筒花火のようなダイナマイトが炸裂する。そろそろ来ると知らされていても凄まじい音と衝撃波に耳がやられ体がビクッとする。この山では落盤事故で年間10人から20人が亡くなり、それ以上の人がアルコールなどの影響で集中力を欠いて穴から落ちたりして命を落とすと言う。それでもここが唯一の産業。家系の中の誰かは必ず山で働いて、子供達は休みになると大人達を手伝って仕事を覚え、30代で塵肺で働けなくなる親に代わって鉱夫になるという循環を繰り返す。塵肺になった男たちは標高4200mのこの町で暮らすことはできず、酸素の多い低い標高の町に移り住むのだ。こんなに過酷な環境で働いていても彼らの稼ぎは僅かなものだ。町には20社程度の会社があり、彼らはそれぞれの会社の山で働かせてもらう。と言っても彼らはサラリーマンではない。基本給無しの完全歩合制だ。たくさん採掘しても含まれる銀の量が少なく質が悪ければ収入は少ない。ダイナマイトや掘削の道具は自前で用意しなければならないからマイナスになることもあるが、良い鉱脈に当たれば月に2000ドル(21万円)稼げる時もあると言う。命をすり減らしてたったのそれだけだ。

貧しいという事は決して悪い事ではない。金持ちよりも貧しい人の中に誇りと希望を持った思慮深い人格者が多いような気がする。しかし僕は日本に生まれ、教育の機会にも恵まれて、人生の選択ができる事をとても幸運に思っている。ガイドの男は鉱夫達の前で“俺は鉱夫をやめて外で仕事ができて本当にラッキーだ”と鉱夫達の分からない英語で語った。僕は観光客というとんでもなく場違いな身分で場違いな場所に居ることに後ろめたい気分を感じていた。更に場違いだったのは女性達だった。鉱山と言えば女人禁制が多いが、ここも観光客以外はそうだった。南アフリカの女性は酸欠で倒れ鉱夫達の酸素の世話になっていた。とてもお洒落な服を着て可愛いかったスウェーデン女性3人も彼らの前ではどうにも埋まらないギャップの向こう側にいる人達だった。ウーマンリブの団体もこの坑道を見れば“女性に鉱夫の機会を!”と訴えることはきっとあるまい。

 先進国の人、金持ち達はこうした貧国の労働者、搾取の社会構造の上に現在の繁栄の生活を成り立たせている。と言っても今の世の中を否定するのでも、彼らのために僕が何かできるわけでもなく、僕は自分の人生を粛々と生きるしかない。せめてもの罪滅ぼしに僕が見て聞いて知った事実をこの文章で知らない人に伝えられたらと思っている。