文明がとまった駅


サルタでバイクの用事が済んだのは夕方6時を廻っていたけれど、静かな所で泊りたかったので街を離れ51号線でチリ方面へ向かう事にした。直ぐに舗装路は終わりまたしても川を見下ろす崖に張り付くガードレールも無い道路を進む。途中何度も線路と交差する。この路線は珍しく今も現役で使われている。鉱石を運ぶ貨物列車と日曜日だけ観光列車も1本走っている。
 景色の良いところで休んでいると老夫婦と中年夫婦の4人連れの車がやってきた。交通量が極端に少ない南米の道路では、すれ違う車や道を歩いている人は必ず手を上げて挨拶してくれるし、こんな所で出会えば必ずおしゃべりが始まる。彼等は車の屋根の上にサンドイッチを広げ僕にも勧めてくれた。彼等にとってもここで外国人旅行者に出会うのは非日常的な出来事なのであろう。友情の証であるマテの回し飲みが始まる。サルタから日帰りドライブに来ていた彼等は僕を招待したかった様だが、残念ながら方角が逆だった。
 もう日没が迫っていたので、近くの列車の駅に泊れるか聞いてみる事にした。駅には貨物列車が停車中で、近くの線路上で作業員が動き回っている。彼等は土砂に埋まったレールを掘り起こす作業をしていた。最近の雨続きで岩山が崩れやすくなっているようだった。それを想定しているのか、或いは鉱石の積み下ろしの為かは分からないが、列車は狭くて暗い人夫の家になっている貨車4両とブルドーザーを載せた貨車も引いていた。作業が終わり列車が行ってしまうと住み込みの駅員2人と僕だけが取り残された。彼等は喜んで駅を使わせてくれた。駅舎の中に泊っても良いと言われたけれど、電気も無い駅舎の部屋は暗くて寂しいのでホームにテントを張らせてもらった。彼等はフフイ州(Jujuy)というアルゼンチンで最も貧しい州の一つから単身赴任している人達だった。東西を高い山に囲まれた狭い谷は日の出が遅く、早く沈んでしまう。標高は既に2000mあるので日が沈むと冷え込む。列車は1日1本あるか無いかなので列車が去ってしまうと冷たい静寂が訪れる。近くに家が1軒あるだけで夜になると車も全く通らなくなる。駅舎にあるラジオと電話が唯一音を発生させるもので彼らの娯楽だ。電気が無いから時々手動発電装置を回す音が石作りの駅舎にこだまする。故郷の家族に電話しているのか真っ暗闇の部屋からくぐもった話し声が聞こえてくる。僕は人生に多くの事を望みすぎているのだなと感じる。ふと今のままの自分、今のままの環境に満足を感じる。何も無い世界に星だけが一際輝いて見えた。