アルゼンチンの旧車ライダーと消えた道


Uspallataから北へ向かう39号は舗装されておらず車はいない。左右に山を見ながら果てしなく真っ直ぐな道をアクセル全開で走る。波打つ道路に時々小さな川が横切っていることがあるのでヒヤっとする。道路の名前が412号に変わり道が舗装路になっても相変わらず一直線の道に車の気配は無い。暫くして小さな村に差しかかろうとした時に旅行者に見えるちょっと変わったライダーに会った。彼等は2台で1台の後ろには彼女を乗せているから3人グループだった。村の小さなガソリンスタンドで挨拶をして驚いた。前日のチリ人ライダーに引き続き、この旅で初めて見るアルゼンチンライダーだった。
 今までチリやアルゼンチンを旅しているのに、出会うライダー達はヨーロッパや北米やブラジルの人達で現地のライダーに会っていなかった。2002年の経済破綻から回復しつつあるアルゼンチン経済だが、バイクで旅をする余裕のある人はまだまだ限られるのだろう。
 変だと思ったのは彼らのバイクだった。最新の高級バイクで旅する人が多い中で彼らのは一際古くてぼろかった。1台は1979年製スズキGS425ENでバイクの後ろに柱を立ててバックパックを縦に縛ってある。多くのライダーはドイツ製の専用アルミボックスを左右に取り付け、上にはイタリア製のプラスティックケースを取り付けたりしているので、布製の小さなバッグを縛り付けている僕のスタイルはかなり珍しく、安っぽくて目立ったが、彼のはそれを凌ぐものだ。もう1台は1980年製ホンダCB900。サイレンサーが付いていないから爆音がする。日本の暴走族と違ってわざと外しているのではなくて、無いから付いていないだけなのだ。ブエノスアイレスからこんな爆音を聞きながら旅をしていたら疲れきってしまうに違いない。
 スズキのカップル、ダミアン(Damian)、グレース(Grace)と、片言の英語を話すホンダのフェルナンド(Fernand)とは3日間一緒に走る事になったのだが、途中スズキが点火系トラブルで止まったり、ホンダの4気筒エンジンの1発が死んだりとトラブル続きだった。しかし故障には慣れっこの様子でバッグの中にはたくさんの工具や部品が用意されていた。
 僕はいつも楽観的に考えているから250ccの初めて乗るバイクでも何とかなるだろうと思って旅を始めたけれど、さすがに彼らのバイクで同じ事をしろと言われたらちょっと考えてしまう。経済状態がどうだろうとバイクが何だろうと、やりたい事をやり抜く力。世の中凄い奴はいるものだ。

途中から道は別れる。舗装道路でサンファン(SanJuan)方面へ向かう12号と荒野の悪路に向かって伸びる412号。4人で情報収集をすると、412号は雨の影響で道がなくなっている可能性が高そうだった。彼らのバイクでは悪路は無理だが、僕のだったらもしかしたら行けるかも知れなかったし、道が無くなるとはどういう状況なのか興味もあったので、ここで彼らとお別れをした。412号は地図でははっきりと示されているけれど、元々存在が怪しいくらいの全く誰も通らない辺鄙な道だった。最初に現れた小さな部落の家は土壁で如何にも貧しい。追い越した自転車の人達は一体何処へ向かっているのやら。次の部落まではバイクでもかなりの距離がある。こんな乾いた何も無い大地にも人が暮らしているのが信じられない。道の痕跡は次第に怪しくなり、誰もいない3200mの山の奥深くに30kmも迷い込んでしまったりしたがGPSも無いし人に聞く事もできない。こんな所で谷に落ちて動けなくなっても発見されることはないだろう。あまり迷っているとガソリンも足りなくなってしまうし、雲行きも怪しくなってきて相当心細かった。こういう時こそ五感が研ぎ澄まされる。地図と時計に付いているコンパスとバイクの積算計の情報に五感加えて、進むべき道の匂いをかぎ分けた。
 再び家が2軒あるだけの部落、しかも今はもう誰も住んでいないと思われる死んだような部落を通り過ぎたので正しい道に戻ったと分かる。道には大きな石がゴロゴロしているからやっぱりアルゼンチンライダー達のバイクでは無理だった。やがて雨と共に大きな氷が降ってきた。パチンコ玉より大きな氷なので皮膚を直撃するとかなり痛い。僕のヘルメットはモトクロス用で口の部分に外気と触れる隙間が空いているので口に当たってしまう。口を左手で覆って走っていたら突然ストーンと腰くらいの高さのある段差を落っこちてあわや転倒するところをぎりぎりで持ちこたえた。雨で広範囲の道が流されてなくなっていたのだが、雨と氷で前が良く見えず、気が付いたときには落ちていた。


 なんとか道の無い荒野を抜けて再び舗装路に出てLasFloresの村に着いたとき、アルゼンチンの3人組に偶然再会した。彼等が宿から村の中心に買い物に来た時にすれ違う僕を発見してくれた。“もしかしたらLasFloresで再会しようね。”と別れるときに話していたのだが、僕のルートの方が距離が短かったのに迷ったり悪路に苦しめられた分彼等に遅れを取る事になっていた。