必要な荷物


島から戻りプエルトバラスから大きな湖ジャンキウエ湖(Llanquihue)を左手に見ながら225号線を行く。ここはチリ人のリゾート地と見えて恐ろしく物価が高い。富士山に形がよく似た山、オソルノ山の麓のEnsenadaという部落で湖岸の普通のキャンプ場に泊ろうとしたら人も多かったし6000ペソ(1500円)と言われたのでやめた。チロエ島のキャンプ場の4倍だ。
 暫く走ると広い砂浜があったのでここにテントを張る。湖に流れ込む小川はとても綺麗だけれど心臓が止まりそうになるくらい冷たい。夕方になると近くにアルゼンチンから来た自転車旅行者がテントを張った。彼らに食事に招待され焚き火とローソクの炎を囲んで楽しい夜を過ごした。こういう旅をする連中は楽しい奴しかいない。会って直ぐに打ち解けて真面目な政治の話をしていたと思うと“でもアルゼンチンのサッカーはチリより強いし、女もチリより絶対美人だぜ。”なんて万国共通の笑い話になる。彼等はバリロチェ(Bariloche)からプエルトモンまでの300kmの自転車旅行の途中だったが、大きな鍋やフライパン、大きなフルーツの缶詰、そしてアルゼンチン人なのでもちろんマテ茶のセットまで何でも持っていた。

僕はこの旅で調理道具を持っていなかった。サンパウロで出発準備をしていたら少し荷物が窮屈なことに気が付いたので料理は諦めることにして友人宅に残してきていた。どんなバイクを買えるか分からなかったから専用のキャリアやバッグは用意していなかったし、なるべく身軽な旅が出来るように持って行くべきか悩むものは日本から持って来なかった。予備のガソリンタンクが増えたりパタゴニアの寒さに服が1着2着と増えバッグが一杯になり、途中から寝袋をヘッドライトの上に縛り付けたり工夫しなければならなかったけれど、他のバイク旅行者に比べると極端に少なく、週末のツーリングに行くような軽装で驚かれた。しかしそんな荷物の中でも着ることの殆ど無かった服などもあったからもっと小さく出来ただろう。家に住んでいると誰しも知らぬ間に凄い量の物に囲まれて生活している。パンツ3枚で生活している人は居ないだろうし、生活の質を上げるために必要なものはたくさんある。でも、生きるのに最低限必要なものだけを突き詰めればバッグ1個あれば足りる事になる。そしてバッグ1個で旅をしていても十分満足で幸せな毎日を送れる。家にある殆どのものが無駄だと言うことではなく、物質を追い求め過ぎる生活というのは人の幸せな生き方の本質から外れている。そういつも自分を戒めて物を増やさないように心がけているのだが消費社会の麻薬に勝つのはなかなか難しい。

 もっとも料理が苦手とは言え、キャンプの楽しみの一つである料理が出来ずにいたのは残念だった。特にパタゴニアのキャンプで温かいスープの代わりにワインやビールで体を温めなければならない夜は少々味気なかった。もうこの辺りでは凍える寒さは無いけれど、彼らの好意と温かい料理、そして久しぶりに飲むアルゼンチン人の友情の証、マテ茶の回し飲みはとっても嬉しかった。