ボリビア日系人社会


 市内には日本人には有名な日本食屋“ケンチャンラーメン”がある。社長はその昔南米をバイクで旅していて転んでボリビアで入院し、その時に知り合ったボリビア人の女性と結婚して今は首都ラパスにも店を出す悠々自適な生活をされているらしい。しかしパスポートを紛失したくらいでは神様は僕にチャンスを与えてはくれなかった。その為に怪我するのも嫌なのでチャンスは次回まで待つことにしよう。その代わりと言っては何だが、信子さんと先生達とここで美味い日本食と生ビールで乾杯ができて最高だった。もちろん今回はパスポートは信子さんに言われるとおりお母さんの家にある。

翌日僕は暇なので信子さんと日系人スポーツ大会を見に行った。少なくとも数百人の日系人ばかりが集う光景は圧巻だ。“日本に行ったら廻りに日本人しかいないからびっくりしちゃった”というブラジル日系人の言葉を聞いたことがあるけれど、確かに多民族国家の南米で日系人しかいない景色は不思議な感じがする。各地区のチームの総当たり戦は地元大都市のサンタクルス、本州出身のサンファン、オキナワは学校が2つあるのでオキナワ第1とオキナワ第2第3の2チームある、で戦う。子供達の会話を聞いていると面白い。チームによって雰囲気も言語も微妙に違う。都会で混血の多いサンタクルスは完全にスペイン語、サンファンは聞き馴染みのある速度の日本語、オキナワ第1は日本語に少しスペイン語が混じった感じ、オキナワ第2第3はのんびりした日本語といった違いだ。同じオキナワの中ですら親たちはスポーツに激しい対抗意識を燃やしていて、それは日常生活の根深い対立感情にも発展することがあると聞くから子供達も大変だ。“類は友を呼ぶ”ということわざ通り日系人は手を取り合い、“犬猿の仲”という慣用句のように同じ動物同士ならぬ日系人同士で対抗意識を燃やすさまは人の宿命なのだろうか。

 オキナワから一緒に来た3人はオキナワに戻るので、日曜の夜は1人で信子さんのお母さんの家に泊めて頂いた。さすがに信子さんのお母さんだけあって信子さんに負けず劣らず面白い。佐賀出身の“がばい母さん”といった感じだ。韓流ブームの真っ只中のお母さんはヨン様に夢中で日本のオバタリアンと変わらない。
 家の前を通る人に大人気の愛犬“モモ”に触ろうと少年が柵から手を伸ばす。お母さんに見付かった少年は“おばさん、モモが柵をこじ開けて外に出ようとしてるよ”お母さんはスペイン語で“何言ってんのよ!あんたが今こじ開けたんじゃないの”と叱る。
“近所の15歳の娘が育てる能力も無いくせに子供産んじゃってね、その娘が私に3ボリビアーノ(42円)貸してくれって来たのよ。私お金無いし、あなた返済能力ないからって断ったの。そしたら夕方までには必ず返しますって懇願するからつい貸しちゃったのよ。そしたら返さないし、それからも平気な顔して家の前通るのよ。3ボリビアーノ返せっていつも見る度に言うんだけどね。まったくボリビア人ってのは信用ならないね。”などと言って夕食をご馳走してくれた。床屋代が6ボリビアーノ(84円)だったから3ボリビアーノは価値があるけれど、もちろんそう言う話ではない。
 そんな尽きない面白い話、なかには辛い話を深夜まで続けてくれた。翌朝“もう家の場所分かったんだから今度は一人でいつでもおいでよ”と言ってお母さんに見送ってもらった。何だか本当のお母さんと別れるみたいに寂しかった。