日本車の行く末に見るもの


 南米にはたくさんの日本の中古車が出回っている。日本の中古車の輸出先は1位ロシア、2位UAE、3位ニュージーランド、そして意外なことに4位にチリ、そして8位にペルーが入っている。チリやペルーが多いのは太平洋に面しているからで、そこから南米各国に送られている。
 ブラジルの様に保護貿易で完全に中古車を受け入れない国や、チリの様に経済が比較的順調な国はさほどでもないけれど、ボリビアの様な規制も少ない貧しい国に来ると殆どが日本車で、驚くほど日本の中古車だらけで笑ってしまうほど面白い光景をたくさん目にする。旅館、スイミングスクール、幼稚園、学校などのマイクロバス、会社の営業用バンやトラック、スポーツカー、名車、珍車、昔流行ったあの車、この車、なんでもある。ニッサンシビリアン、サニー、カローラ、カローラバン、スプリンターカリブ、エスクード、キャラバンなどの実用車に混じってインプレッサWRXなんて凄い車もある。
 物心がつく前から世界の殆どの車の名前を言えた自動車大好き少年だったので、街に来ると博物館のような名所よりもついつい車に目が行ってしまう。通りは30年前からちょっと前までの日本車が見れる日本車博物館みたいなものだ。ボリビアは右側通行で左ハンドルにすることが義務だからハンドルを反対側へ移植される。ついでに格安のマニュアルミッションもあるので、動かなくなるまで乗り続ける彼等は燃費や信頼性を考えてATからMTに載せ換える。ペルーやチリの港にはそんな移植専門会社があってハンドル移植は車種によって200ドルくらいから出来るらしい。当然メーターも移植するのかと思いきや、メーターは義務ではないからお金を節約するお客さんはメーター移植費300ドルくらいをケチってハンドルとミッションだけ移植する。真面目な顔をしてそんな車を運転する家族を見た時は思わず噴き出してしまった。助手席の嫁さんに“今どれくらいスピード出てる?”とか聞いているのだろうか。営業車は会社の名前や電話番号なども消さずにそのまま走っているから、“あっ、これ新潟の高校の野球部の遠征用バスか。随分遠い遠征だなあ”とか“この旅館潰れちゃったのかな、それとも買い換えたのかな。ここに電話したら分かるかな”とか“産業廃棄物運搬車って書いてあるけど荷台に載ってるのは人間のお客さんだよな”などなど妄想や笑いのネタにも事欠かないのだ。
 日本人がフランス語の名前のレストランに得意げに食べに行き、意味不明のカタカナのメニューを知ったような顔をして頼み、ちょっと気取ってイタリアの何処だか知らないワインを飲むみたいに、車体に書かれた文字が何であっても彼らにとっては夢の外国の意味の分からない素敵な文字に過ぎないのだろう。

 昔ロシアを旅した時にも似た様な光景を目にした。極東の港町ウラジオストクに陸揚げされた車が鉄道やガタガタの道路を使って自走で東に運ばれていた。ロシアは右側通行なのに極東地域には右ハンドルの日本の中古車しか走っていなかった。その光景はボリビアの様に楽しいものではなく、腹が立っていた。何故なら中古車に混じって多くの盗難車が渡っていたからだ。その頃の新聞には大きく報道されていたし、知り合いが車を盗まれた事もあるし、友人がウラジオストクの中古車屋の車体番号を日本の陸運局に照会したら全て盗難車だったこともある。
 ハバロフスクの銀行に立ち寄ると“4泊5日 960$ あなたも日本へ中古車を買いに行きませんか。”という旅行広告が貼り出されていた。船員手帳があれば4日間のビザ無し滞在と2台までの車の持ち出しが出来るという船員特権を利用した当時極東を実効支配していたロシアマフィアの商売だった。実際に僕らが乗船した新潟、富山行きの客船には乗客26名に対し乗員と称する人は80名以上いて、ウラジオストクへは76台の車を甲板に押し込んで帰ったそうだ。10年以上も前の話なので今は事情は変わったと思うけれどそんな嫌な思い出もあった。

 ボリビアではそんな悪い印象は受けない。ロシアの様に盗難ランキングに出てくるような高級車は少なく、大衆車が多かったし、ロシア人に多かった乱暴な運転も少なく、生活を支えるための大事な車という印象が強い。むしろ目を向けさせられたのは日本人の新しい車に乗り続けなければならないという心だった。
 日本では今、車の平均車齢は7年と言われている。つまり7年経った車はスクラップされるか外国に輸出される。7年も経てば多くの車は価値が殆どなくなる。スピードが出なくなるのでも燃費が悪化するからでもなく、新しいものを使うのが当たり前の世の中だからだ。しかし輸出された車たちは元気にボリビア人の生活を支えている。笑顔を与えている。しかも新車価格とは比べものにならない破格で。

 僕は日本で1990年製のトヨタハイエースに乗っている。18年前の車で25万km走っている日本では化石に属する車だ。数年前、行きつけの車屋で自分で車を整備しているときに、中古車輸出を手がけるイラン人が現れたので冗談で“俺の車いくらで買うんだ?”と聞いたら、見回して“要らないよ”と言われたくらいだから以来ドアはロックしないし鍵も車内に置いてある。新車が買えないわけではないけれど、日本の車社会は成熟しているから新車を買う費用に見合った価値を見出すのが僕にはなかなか難しい。快適性や安全性など進化は止まらないけれど、馬車が車になるような劇的な進化は見られない。交通量が多く、速度制限が厳しいから多少速い車に変えても目的地への所要時間は変わらないし、燃費が各段に良くなっているわけでもないし、ディーゼル規制にしても新車を製造する時に消費する資源やエネルギーや廃棄時の環境への負荷を考えると必ずしも新車が環境に良いとも言いにくい。それでも日本人が新車を乗り継ぐのは、新しいものを消費すること、世間体、ブランド崇拝などに価値を見出しているからであろう。
 僕は日本人らしからぬ心持ちで古い車と付き合ってきた。オートバイのレース会場のある田舎の山の中で泊るから、オートバイを積んだまま寝ることも出来るように改造してある個人的にとても使い勝手の良い車だ。色んな想い出も詰まっているから手放すタイミングが見付からなかった。ところが近年、石原都知事が始めたディーゼル規制で首都圏に入れなくなってしまったし、古い車に課せられる税金も年々上がり肩身の狭い想いをするようになり、いつ手放そうかと思案するようになっていた。しかしアルゼンチン北部の僕のよりも遥かに古くてぼろい車達やボリビアの日本製中古車が元気に走っている姿を見ると、まだまだ乗り続けるべきなのかと再び考えさせられている。

 資源の少ない日本は、昔から物を大事にする文化を持っていた。それは今でも田舎のおじいさん、おばあさんの世代の暮らしぶりに見て取れる。それが新しい世代の人達を見るとどうだろうか。いつも新しい車、電化製品、家、物を買うため、金のために生活に追われ、笑顔を失っている人は多い。日本は戦後の貧しさを脱し,経済大国になった先進国だと浮かれている日本人は多いけれど、経済の豊かさ貧しさに関わらず、心が豊かな人達の国を見る度に、やっぱり日本は戦争に負けた国なのだなと思う。西側の大量消費社会の生産の担い手となって世界を工業製品で豊かにする一方で、自らは自分たちの文化すら守れず消費社会や拝金主義に溺れて進むべき方向を見失っている。アルゼンチン北部の古い車やボリビアの日本車を見ているとそんな日本の深い闇を見るような気がする。ケチになったり買いたい物を買わない生活を勧めているのではなく、幸せはお金や物とは関係なく、心の内側にあるものだという事を溺れている日本人に思い出してもらえたら嬉しい。