お金の価値


もちろんフィルとホテルに泊まらなかったのはキャンプしたかったからだけではない。ウシュアイアのホテルの違いで彼との金銭感覚の違いは分かっていたし、初めてのチリの夜でまだチリ通貨ペソに慣れていないのに、幾らかかるか見当も付かない田舎のホテルには行く気がしなかった。

僕は無駄遣いを殆どしない。昔はお金が無かったから出来なかったけれど、お金のある今もなかなかこの習慣が抜けない。自分の趣味の道具にはポンと60万円する自転車や高い最上級の登山用品を買い揃えてしまうこともあるけれど、あまり興味の無い例えば服などは貰い物や安物でも全然気にならない。振り返ると大学時代の経験が僕の経済観念を育てたように思う。

大学時代僕はお金が無かった。でも見知らぬ土地への興味が強かったので長期休暇になると必ず自転車を飛行機に積んだり船に乗ったりして世界のあちこちを旅して廻った。忙しい勉強のあと深夜までアルバイトをして何とか旅行代をひねり出した。父が癌を患い長い入院生活をしていたので実家の家計が苦しいのは分かっていたから仕送りは断り日本育英会から奨学金を借りていた。当時東京で一人暮らしをしている廻りの仲間は親から月に10万円から15万円もの仕送りを貰っていた様だし自分とは随分と生活も違った。学校まで歩いていける東京のど真ん中の四谷に家賃4万円でボロボロのアパートを借りていた。夜電気を消すと隣の部屋の住人の明かりが柱の隙間から差し込んできた。風呂やシャワーなどあるはずも無く、大家に貰った老人無料入浴券を持って近くの銭湯に通った。惨めな気持ちは全然無くむしろ楽しい生活だった。ただお金の有難みだけは学んだ。

 その旅行の一つで登山目的などでアフリカに3ヶ月滞在した事がある。僕はいつもその国の文化、習慣、生活を理解しようと心がけている。現地人の目線になるとより多くの事が見えてくるから面白い。そうなると当然金銭感覚も彼らに近づいてくる。そこで気がついたのは幸せとお金に相関関係は無いということだ。マダガスカルの草原の中に旅客機は着陸した。平屋の“国際空港ビル”を一歩出ると人は裸足で歩いていた。お金が無いのは明らかなのに彼らは笑顔だった。もし金が幸せを呼ぶのなら世の中に不機嫌な金持ちがたくさん居ることの説明がつかない。空腹の人は一切れのパンに幸せを感じるが毎日飽きるほど食べている人はまたかと思う。そしてそこでは1日たったの500円あれば村で一番良いホテルに泊まり一番のレストランで食事をすることが出来た。それで僕には十分だった。生活に必要十分以上のお金を求める余力があるのならば、ほかの事に時間と労力を割いた方がきっと人生は豊かになる。それ以来僕は倹約してお金以外で幸せになる方法をいつも求めているような気がする。