パタゴニアのバイク屋さん


プエルトサンタクルズを出発して3号に戻りアルゼンチン本土最南端の大きな街リオガジェゴス(RioGallegos)を目指す。向かい風が非常に強くスピードが出ない。とても寒くて手が悴むので左右の手を交互にエンジンに当てて暖めながら走る。地形は相変わらず地球の大きな皺の様なうねりのある平野だが植生は南にいくほど背が低くなってゆき、今は地面に這いつくばるように生えている草だけだ。羊が多くニュージーランドの景色にも似ている。

リオガジェゴスは大きな町なので、ここならオートバイ屋を探して整備できるかもしれないと期待していた。使えなくなっているフロントブレーキを修理しようと、ここまでに通過してきた町でもずっとバイク屋を探してきたけれども、部品等がまともに買えるバイク屋は皆無だった。2700kmくらいブレーキ無しで走ったが、交通量も増えてきたのでそろそろ何とかしたかった。加えてドライブチェーンの伸びが激しくなってきていたので新品を購入したかった。探し回ってようやく1軒だけ小さなヤマハの販売店を発見し、困っている事情を説明し、他のモデル用のボロボロの日本製中古マスターシリンダーと新品チェーンを購入することができた。しかし仕方ないから売ってやるという態度で笑顔も礼の言葉も無い。おまけに足元を見られたのかボロボロの中古マスターシリンダーを150ペソという想定外に高い値段で買わざるを得なかった。お客様は神様の様に扱われる日本の接客態度に慣れている僕には店のおやじの態度には驚かされた。資本関係も無くヤマハ発動機の影響力の及ばない個人経営の販売店に過ぎないけれども、自分の働いた会社の看板を掲げる店がこの様な態度だったことにがっかりさせられた。

チェーンは日本製と中国製の2種類あった。中国製ブレーキ部品に痛い目に遭ったばかりだったけれど値段の歴然とした違いに思わず再び中国製を選んでしまった。これが再び頭を悩ますことになるとは思ってもいなかった。2日後にチェーンがゆるゆるに緩んでいるのを見たときには初期伸びでこんなに緩むものだったかなと不審に思ったが、その後調整しても調整してもグングンと緩み続けた。更に悪いことにチェーンの張りを調整するために使うリアアクスルのナットを緩めるレンチを紛失してしまっていたので、途中何度も何度も人に借りなければならなかった。中国製の品質が悪いことは業界にいたら誰でも知っていることだけれども、旅が終わったら再び売ってしまうバイクにあまり愛情が沸かなかったし、まさかここまで酷いとは思っていなかった。その後も同様に中国品質には裏切られ続けた。ブエノスアイレスで買ったバッテリーは3ヶ月あまりで寿命になり、ボリビアで買ったリアタイヤは僅か5日で山がなくなった。一方サンチアゴでヤマハチリから頂いた日本製のチェーンは初期伸びすら無く、サンパウロまで8000km無調整で走ることができた。日本製は中国製の2倍近い値段することもあるけれど、寿命や性能を考えると断然日本製の方がお得だと身に染みて感じた。

パタゴニアではその後タイヤが丸坊主になり、オイル交換をするべき距離も迎えたけれど、タイヤやオイルを探し始めてから手に入れるまでに4千kmあまり走ることになった。タイヤは稀に売っていることがあるが自分のサイズや欲しいタイプの物を入手するのはかなり難しい。オートバイ用のエンジンオイルを入手することはもっと難しい。南米では車用のオイルを使うのは一般的だし問題ないという人も居るけれど、車用はオートバイのクラッチを滑らすリスクを抱えることになる。
 オートバイトラブルのリスクを極力減らすのであればパタゴニアでは何も手に入らないと考えてサンチアゴかブエノスアイレスで必要な物を全て揃えて持っていくのが賢いだろう。