ヒッチハイクに思う格差社会


雨も上がり夫妻とお別れし国道2号で首都アスンシオン方面に向かい直前で国道1号へ左折しパラグアイ第ニの都市エンカルナシオン方面へ向かう。直径2m以上の木製の車輪で出来たリヤカーを引く馬車、煙幕を撒き散らして走る古い車、農作物の露天商など、国の経済力の無さを感じさせる光景が新鮮に目に映る。しかし空気は暖かく、黄色い花が咲き乱れるのどかな田舎の風景に悲壮感は感じられない。アスンシオンから遠ざかるにつれ景色はひらけ、たまに現れる小さな街以外に目を引くものも少なくなりアクセル全開でひた走る。

その時、軍服の様なものを着た男が道端から自分に向かって突然飛び出してくるのが視界の隅に映った。この国では警察に停められて賄賂を要求されたりすることもしばしばあると聞いていたし、クリスマス前なので特にお金が欲しい時期だ。明らかに制限速度は越えていたから、止まらなかったら撃たれるかも知れないととっさに閃いて急停車した。その若く大きな軍人の目は興奮して血走っていて、走り寄ってきた時には恐ろしくて逃げようかとも思った。しかし丸腰の様子で、手にはジュースを持っているのを見とめて思い留まった。スペイン語なのか地元ガラニー語なのかも分からない程の早口でまくし立てるのでさっぱり分からないが、多分状況からして乗せてくれと言っているのだろう。しかしバイクの後ろには荷物があるから人など乗せられない。すると状況を察知した様子で荷物の上に座るとアピールしてくる。あまりの切迫した様子と血走った怖い目に思わず要求を受け入れてしまったが、走り出して直ぐに自分は何と愚かなお人好しだろうと激しく後悔した。何の遠慮も無くいきなり後ろで缶ジュースを開けて飲み始める男。暫くして目的地で下ろすと礼を言うでもなく手を出してきて、どうやら金を出せとのたまう。さすがに頭にきて日本語でののしると悪びれた様子も無く去って行った。

最近日本では格差社会が叫ばれ問題視されるようになった。確かに一昔前に比べれば経済的にも心理的にも余裕の無い人が増えたように思う。しかし外国、特に開発途上国の格差はその比ではない。金持ちは果てしなく金持ちで貧困層は永久に抜け出せないシステムなのだ。日本はどんな家庭の子供でも、教育の中身は別にして殆どが9年間の同じ義務教育を受けるし、地理的歴史的背景から来るものか、家庭や地域社会からも同じような常識や道徳観を学んで育つ。中学を卒業してビジネスを成功させる人がいれば大学卒で生活保護を受けて生活する人だっている。大企業の社長の年収だって外国企業のそれに比べれば庶民的と思えるほどの1桁か2桁少ない額だ。弊害はもちろんあるけれど所得格差が少ない社会というのは社会の安定や低犯罪率に貢献している。それらは当たり前のことではなく、とても恵まれていたことなのだと海外に来て初めて気付かされる。日本に生まれたら機会の平等も結果の平等も殆ど保障されている様なものだ。これは僕が恵まれた会社員生活を終わりにして次の世界に踏み出す勇気を支えた考えの一つでもある。日本人は人生を選択できる世界には多くない恵まれた人達だと思う。

一方外国では千差万別の環境が千差万別な人間を作る。パラグアイの様な国では機会の平等や結果の平等なんてある筈も無い。白人の大金持ちは利権を持ち続け、貧困層は抜け出せない事はほぼ間違いない。また、貧乏人の人徳者は大勢いるし、ろくでなしの白人もまたしかりだろう。もちろん僕が後ろに乗せた男は貧乏人のろくでなしだ。

 つい先日の新聞に、パラグアイで61年ぶりの政権交代があり、貧者の司教と呼ばれるカトリック司教出身の貧民活動家の大統領が誕生したという記事を見た。権力の闇に潰されることなく初志貫徹してくれることを願いたい。