日本人墓地のお手伝い


シウダーデルエステを西にアスンシオン方面へ向かい、途中の料金所(2輪車は無料)でバイクを停め地図を眺めて何処に行こうかと思案していると警備員が寄ってきて話しかけてくる。僕が日本から来た日本人だと分かると笑顔になり“この先にイグアスという日本人の居住地があるから行ってみると良い”と教えてくれた。
 更に先に進み、車に乗り込もうとしていた3人組みの人に片言のスペイン語で道を聞いて少し会話すると向こうの一人の女性が“もしかして日本人ですか?”と日本語で聞いてくる。こんな所で言葉も分からず一人でバイク旅行をする日本人を見て凄く驚いていたが、僕も彼らがエホバという宗教を布教するために日本からはるばる来ている青年達だと知りびっくりした。どういうビザで滞在し、何で生計たてているのだろう?まったく色んな生き方があるものだ。

イグアスの村では更に仰天した。村の入り口にある日本語の標語“夢いっぱい元気に羽ばたけイグアスの子”なんじゃこりゃ!店や病院も日本語表記。近くにあったシロサワ食堂で昼ご飯を食べていると近くの席におじさんの客が来て食べ始めた。この人日本語通じるのだろうかと思い日本語で話しかけてみると通じるし何と食堂のオーナーシロサワさん本人だと言う。話していると“お前今晩家泊まっていくか?”と突然聞いてきた。丁度その時、バスで一人旅している日本人の元気の良いお婆さんが店に入ってきて僕らの会話を聞きつけ“私も泊めてよ”と無遠慮に言い寄ってくる。シロサワさんは苦い顔をして“いやあ、このバイクの兄さんは貧乏そうだから言ったけど、あなたは…”。親切は嬉しかったけれど、そうか俺貧乏そうに見えるのか、と苦い笑いを噛み殺した。結局返事はするタイミングも無いまま、シロサワさんがお婆さんを近くの日本人宿に案内する事になったので、そのままバイクで一緒に宿まで付いて行ってお婆さんともシロサワさんともお別れした。日本人宿に泊る気分ではなかったし、お婆さんの手前、一人で泊めて頂くわけにも行かないと思ったからだ。

村の中心にある日本人会館の前で足を止めて日本語の文字を珍しく見入っていると、やや遠くから声がした。“お前日本から来たのか?”歳は僕の親くらいで無愛想で強面のおじさんだったので少し緊張した。“じゃあ先ず墓の片付けをしてから家に行けば良い”話の流れと雰囲気で殆ど考える余裕も無いまま村外れの日本人墓地へ行き、暑い日差しの下、日本人の子供の墓を掘り起こした石の残骸を一緒に片付けた。それまでは観光気分でただ珍しがって南米の日本人社会や日本文化の名残を眺めていたけれど、その時から尊敬の念を込めて見るようになったと思う。赤い大地に無数の日本人の名が書かれた墓石が横たわり、その周りには森を切り開いて作られた大豆畑が広がっていた。

翌日は1日激しく雨が降り続き、結局二晩夫妻の家でお世話になった。優しさの滲み出るおばさんも、口数少なく頑固で心優しいおじさんも、日本より日本的だった美味しいご飯も、自分で建てたという大黒柱のある素敵な家も、全てが古き良き日本そのものだった。そんな日本的なものにあこがれる僕が“羨ましいですね”と言うと、“そういう言葉は軽々しく使わないでね”とおばさんが優しく目に涙を滲ませ、遠くを見るようにして諭してくれた。彼女のここでの大変な苦労を僕は知らない。

 後日僕が去った後、日本の僕の実家に夫妻からFAXが届いたらしい。“息子さんは無事にアルゼンチンに向けて出発されました”と。親からのメールでそれを知り胸が熱くなった。